ぼっちに限らず、人生はクソゲー。だが自由度は高いのでそれなりには楽しめる仕様になっている。

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人には、そして人生には無限の可能性が眠っている・・・なんて言葉を聞いたことがあるかと思う。

 

ぶっちゃけそんなの綺麗事だ。

 

可能性は無限にあっても、それを実現させる為に必要なものが自分の人生に備わっていないことなんてザラにあるし、状況や環境によって選択肢が1つしかないこともだってある。

 

そう、人生というのは、不平等で不完全のクソゲーでしかないのだから。

 

 

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人生はクソゲー。それは確定事項

自分が好きなライトノベルの中にある文章。

ルールも目的も不明瞭な、くだらないゲーム。70億ものプレイヤーが、好き勝手に手番を動かし。勝ちすぎるとペナルティを受け。負けすぎてもペナルティを受ける。パスする権利はなく。しゃべり過ぎたら、踏み込み過ぎと疎まれる。目的もわからず、パラメーターもなく、ジャンルすら不明。決められたルールに従っても罰せられ―――なにより。ルールを無視した奴が我が物顔で上に立つ―――。こんな人生(クソゲー)に比べたら・・・

引用 ノーゲーム・ノーライフ1

 

さらに言えば。

プレイヤーに与えれる初期キャラデザも、成長環境も、成長速度も平等ではなく。プレイ拘束時間は80年以上ある上、死に戻り出来ない1発勝負仕様。これ程までに不具合があるにも関わらず、一切修正パッチは配信されない。

 

何より、全ては【運】とかいう見えない要素に左右されてしまう。

 

さらに自分も含め、自発的ゲームオーバーする勇気を持っている人はそういない。

 

そう、人はこのクソゲーを強要されているのだ。ゲームクリア(天寿を全う)する以外の選択肢はない。

 

これをクソゲーと呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。

 

これを神ゲーとか言えるのは、天運を持ったヤツか、初期キャラメイクに成功したヤツか、あるいはポジティブとかいうスキルをもったリア充ドM野郎だけではなかろうか。

 

 

自由度は高いので、それなりには楽しめる仕様。

確かに人生はクソゲーだ。

 

だが無理ゲーというわけではなく、それなりには楽しめるようになっている。

 

このクソゲーには、唯一「長所」といっていい仕様があるからだ。これをデメリットと捉える人もいるかもしれないが、自分はメリットと考える。

 

それは自由度が高いということだ。

 

つまり、何でも出来るということ。

 

つまり、しなくてもいいことやしたくないことは回避できるということ。

 

確かに「自由」には「責任」がついて回るのがクソゲーのルールの1つだが、それでもこの仕様のおかげでそれなり楽しめる。

 

学生の人はちょっと実感できないかもしれない。

学生は活動フィールドが「学校」しかない人も多いので、フィールドの選択肢がない上、学校で起こるイベントはスキップ不可の強制イベントであることが多いからだ。

 

社会人になれば、そんなことはない。

主な活動フィールドは「会社」だが、その「会社」は自分で選ぶことが出来るし、途中から他のフィールドに行くのだって自由だ。複数のフィールドを持つことだって出来る。知恵を絞れば、マイナスなイベントだってスキップすることも出来る。

 

自分はぼっちになることで、うざったい交流系イベントを可能な限り回避することに成功したし、1人暮らしすることで、誰にも文句を言われずに趣味に没頭することが出来たので、それなりにはこのクソゲーを楽しめている。

 

この自分の行動が正しいか間違っているのかは分からない。

 

自由に正解なんてないし、クソゲーの楽しみ方も人それぞれなのだから。

 

これからも自分は、その自由というルールの元で、このクソゲーライフをそれなりにエンジョイしていくこととしよう。

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