「コミュ障」を生み出す4つの要因と、ぼっちにも出来る【超初級】な5つの改善策。

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他人とコミュニケーションを取らないで生きていけたらどれだけ幸せだろうかと考えることはあるが、所詮夢物語に過ぎない。不可能である。

そして1人でいることが嫌だと考えているタイプのぼっちの、その原因はほぼ間違いなく「コミュ障」であると言わざるを得ない。それに異を唱える人も少ないことだろう。

主にネットスラングとして使われている「コミュ障」だが、その意味や要因、そして改善策について考察し、まとめたので記載したいと思う。

 

 

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コミュ障とは何か。その定義とは―――

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

引用:コミュ障とは(コミュショウとは)[単語記事] – ニコニコ大百科

 

コミュニケーション障害は、実際に認知されている病気であり、その原因として身体的な障害なども含まれる。

だが、世間で言われるところの「コミュ障」とは上記の通りで「コミュニケーションがとても苦手」という意味で使われることが多い。

このブログ自体やこの記事内も上記と概ね同じ定義だが、厳密に分類すると「コミュ障」と「コミュニケーション能力が低い」というのは別物と考えている

また「コミュ障を改善する」ことと「コミュニケーション能力を高める」こともまた別物として考えている。

ではなぜ「コミュ障」と「コミュニケーション能力が低い」を別物と考えているのかという話。

それにはまずコミュニケーション能力とは何か、そしてコミュニケーション能力が低いというのはどういうことなのか、について話す必要がある。

 

まず、コミュニケーション能力とは「双方向による意思疎通を円滑に行う能力」のことである。

ポイントは双方向であること。

つまりコミュニケーション能力っていうのは「相手の意思を円滑に受け取ることが出来る力」と「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」の2つの力を指していることになり、「コミュニケーション能力が高い」というのはこの2つの力を有しているということになる。

 

それを踏まえた上で考えると「コミュニケーション能力が低い」というのは「相手の意思を円滑に受け取ることが出来る力」の方が欠けている―――つまり相手のことを察する力が欠けているってこと。

そして「コミュ障」というのは、両方の場合もあるがどちらかというと「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」の方が欠けていることを指すと考える方が適切ではないだろうか。

そしてぼっちに多いのはどちらかと考えれば「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」が欠けている―――つまりは「コミュ障」だと考えており、今回はそのコミュ障について記載している。

 

 

コミュ障を引き起こす4つの要因

コミュ障の定義を踏まえてた上で、「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」とは何か。

それは相手と接触(会話)出来る環境に入ることが出来て、その中で分かり易く正確に、自発的に意思・意見を述べることが出来る力であると言えるだろう。

ではそんな「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を欠いている―――「コミュ障」を引き起こしてしまう4つの要因について記載する。

 

要因① 話すことが下手

やはり話すことが下手というのは「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」が欠けていると言わざるを得ない。

さらに話すことが下手だと「コイツと話していても面白くない」と周囲に思われて話しかけてもらえなくなったり、自分の意思や思いを正しく伝えられず勘違いされて集団から弾かれたりすることになる。

そうやって周囲から距離を取られて意思疎通が行えなくなるような状況を作ってしまいかねない悪循環を生み出すのだ。

マジ理不尽。こっちはそんなこと思ってねぇのに周囲が色々勝手に決めつけて見切ってそういう状況を作ってくる。

こう見えて噛めば噛むほど味の出るだから。超スルメだから。最初だけ美味いガムのヤツとは違うから。もっと気長に付き合えって。

 

 

要因② 消極的な性格

自分の意思を伝えるというのは積極性が問われるもの。

なので消極的な性格の持ち主というのは「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を持っているとは言えないだろう。

そもそも日本人は昔から受け身。漫画やアニメのラブコメ作品の中で「幼馴染が朝起こしに来てくれるシチュエーション」が好まれているというのはその最たるもの。

そんなね、異性の幼馴染が隣に住んでいるなんて状況自体が珍しいのに「昔から自分のことが好き」だったり「お節介を焼いてくれる」なんてことが、早々あるわけない。

だがそれを望んでいる人が多いからこそ、ベタと呼ばれて好まれているわけなのだが。最早受け身気質な消極的な性格というのは、日本の国民性ともいえるのかもしれない。

なので寧ろ日本が悪い。そんな幼馴染がいた3組の佐藤が憎い。今からでも積極的に藁人形を用意しよう、そうしよう。

 

 

要因③ 「話しかけないでオーラ」を出している

これは性格的なものにも繋がっているが、世の中には「話しかけないでオーラ」が出している人というのは結構いるものである。

これは無意識的に出してしまっている場合もあるが、それが原因で周囲は話しかけにくかったりする。

なので「話しかけないでオーラ」を出しているというのは、相手と接触(会話)出来る環境に入ろうとはしていないことになるので「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」が欠けていると言えるだろう。

実際オーラっていうのはあるものだし、モノによっては意外と出せたり、引っ込めたりも出来るものである。

ぼっちの人はよく出してるはず。「話しかけないでオーラ」はもちろんだが、他にも「今はぼっちだけど、後から人が来るから」とか「今日はたまたまツレが急用でぼっちになっちゃっただけだから」みたいな「普段はぼっちじゃないですよオーラ」とか。まぁ周囲がそれを感じ取っているのかはわからんが。

だがなぜか「話しかけないでオーラ」は洋服屋の店員に効かない。KY(空気読めない)ならぬOM(オーラ見えない)ヤツが多すぎる。「凝」も使えないとか、ひよっこハンター共が。

 

 

要因④ 自分に自信がない

自分に自信がない、自分に自信が持てないという人は、コミュニケーションを取ること自体に抵抗を感じてしまうことが多く、「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を使うことなんて出来ない。

これは上記で挙げた他の要因①②③の根幹にあたる部分でもある。

 

それは「不安」という感情である。

自分の会話力やボキャブラリーに自信がないから話しかけられないとか、もしかしたら嫌われてしまっているかもしれないという被害妄想を持ってしまってコミュニケーションを取ること自体を諦めてしまったりとか。

1番多いのは容姿に自信がないって人。

過去に不細工とかブスとか言われて笑われたり傷つけられたことがきっかけで自発的なコミュニケーションに抵抗―――つまりは不安を感じてしまっているのだ。

要因は様々だが、根幹にあるそういった不安が「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を欠いた結果を生み出している、つまりは「コミュ障」にしてしまっているというなのだ。

 

 

「コミュ障」と「ぼっち」の関係性

上記の「コミュ障」についての説明を聞けば、なぜ「コミュ障」は「ぼっちになりやすい」かはわかることだろう。

「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を欠いているというのは、自分からも他人からも距離を取る結果を生みやすいのだ。

もちろんコミュ障だからぼっちになのか、ぼっちだからコミュ障なのかという「鶏と卵はどっちが先なのか」的な部分はあるが、それでもこの2つは切っても切り離せない関係性がある。

そして何より厄介なのはコミュ障だとぼっちになってしまうし、ぼっちだとコミュ障が酷くなるし、コミュ障がひどくなるとよりぼっちになるし、という負のスパイラルを抱えているという点である。

コミュニケーション能力とは、より多くコミュニケーションを取ることで鍛えられる。

なのでぼっちだとコミュニケーションを取る機会が圧倒的に少なく、コミュ障が改善しにくい状況なのだ。

 

 

ぼっちにも出来る「コミュ障」改善策

そんなコミュ障を改善してぼっちから脱却したいと考えている「コミュ障ぼっち」の方は多い。

なので改善を図ろうとGoogle先生に「コミュ障 改善」とか検索した経験のあるぼっちはいると思うが……ぶっちゃけ、どうだろうか。

 

個人的には「ぼっちには最初からハードルが高いものばかりだな」という印象である。

もちろんそれらをこなせれば改善するのかもしれないが、かなり勇気が必要なものがほとんどだ。

正直それが出来ればここまでコミュ障こじらせてねぇし、ぼっちにもなってねぇだろって思うのではないだろうか。

ハードモードを通り越したナイトメアモードな難易度。これは恐らく、いや確実に奴等はぼっちを殺しに来てる。ぼっちの逆風、ここに極まれり。

 

だからこそ「コミュ障」と「コミュニケーション能力が低い」というのは別物と捉え、「コミュ障を改善する」ことと「コミュニケーション能力を高める」もまたを別物として捉えるべきなのではないだろうか。

 

つまり「コミュニケーション能力を高める」ことで「コミュ障を改善する」のではなく、もっと段階を踏むべきだと、言いたいのだ。

「コミュ障を改善する」ことはマイナスからゼロに近づけることで、一気にプラスまで行くような話ではなく、まずは「コミュ障ぼっち」から「コミュニケーション能力が低い人」になることが大事なのでないだろうかってことだ。

 

そういった観点から考えると、とりあえず「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」を身に付けることが、ぼっちにも出来るコミュ障改善策になるだろう。

その5つ改善策を記載する。

 

改善策① 鏡を見る回数・時間を増やす

「容姿」に自信がなくて積極的になれないというぼっちの人は結構多い。

逆説的に考えれば容姿に自信が持てる様になれば、コミュニケーションを取ろうという積極性が生まれやすくなるということである。

 

なのでまず意識的に自分の顔を鏡で見る回数・時間を増やすこと。ナルシスト上等だぜってくらいに。

その理由だが、ぼっちは「ぼっちでいる期間」が長くなると徐々に鏡を見る回数が減っていくものだからだ。

ぶっちゃけ経験談である。周囲の目を気にしている割に鏡の前に立つ回数が減るのは見たくないものから目を背けるからなのか。

なので最初のうちはあまりに鏡で自分の顔を見てなさ過ぎてゲシュタルト崩壊するかもしれないが、そこは嘔吐を我慢してでも見ること。そのうち慣れる。多分。人間に分類される人ならば。

 

気にしてもらいたいのは「清潔感があるか」「健康的であるか」である。

この2つは努力すればどうにでもなる部分で、意外と周囲が見ている部分だからだ。気にして日々磨くことを推奨する。

それが日常的になってくれば、容姿にある程度自信が持てるようになることだろう。少なくとも自分を卑下しないレベルにはなる。

 

 

改善策② 情報・話題の引き出しを充実させる

ぼっちは「聞き耳を立てる」のは得意だが、それはそこまで万能な能力ではなく基本的に「周囲で何か流行っているのか」を収集する術がない。

さらに脳みその引き出しに詰めがちな話題や情報にはかなり偏りがある傾向があり、いざコミュニケーションを取ろうとしても対応できないことが多い。

 

なので自分が大して興味のないことでも調べて、話題や情報の引き出しを充実させておくと良い。

同じ話題でコミュニケーションが取れる―――つまり周囲と同じ話題・情報を共有出来るのならば、相手と接触(会話)出来る環境に入れることが出来るってことだし、留まることだって出来るようになれるだろう。

 

だが注意点。情報や知識をひけらかしは厳禁。

調子に乗ってるって思われる可能性がある。あくまでスタンスは「その話題についていける」っていう立ち位置が理想。

ついついやっちゃうぼっちは結構いる。話しかけられたことが嬉しくて調子にのっちゃって語り過ぎてウザがられるっていうね。自重は大事。体験談。これ以上は語れない。封印されし黒歴史ダカラ。

 

 

改善策③ 発声練習をする

とにかく会話の機会が少ないぼっちは、必然的に声を出す機会が少ない。

事実一言も話さない一日もある。コンビニで「温めますか?」と聞かれても頷きだけで意思を伝えたり。ん?これってある意味コミュ力が高いってことには……ならないか。ならないね。

 

なのでいざって時に声が出ないなんてことのないように、発声練習をしておく。

別に「あめんぼあかいなあいうえお」とか言えって話ではないが、滑舌は意識して声を出すようにした方が良い。滑舌が悪くてボソボソとしゃべるとやはり印象は悪くなるからである。

 

滑舌は口の開きが大切だが、口周りの筋肉も重要である

それらの筋肉は意識的に鍛えるならともかく普通はどれだけ口を使ってきたかで鍛えられるものなので、あまり声を発してきていないぼっちはひ弱な筋肉なのだ。発声練習に合わせて鍛える必要があるだろう。

とはいえぼっちは人間以外に話しかける優しい心を持っていることが多いので、全く声を出さないっていうことはないだろうが。

ペットだけでなく、無機質なゲームにだって話しかけちゃうぼっちも多いはず。「マジかよ、無理くね?」とか「は~そうきましたか」とか。

 

 

改善策④ 会話シミュレーションをする

コミュニケーション能力というのは鍛えようと思って鍛えて出来るようなることより、大抵は物心ついたころからの日々の積み重ねで身に付いてくるもの。

つまり長い時間をかけて少しずつ身に付くものである。

なのに「コミュ障」改善の為に、いきなり数多くのコミュニケーションを取って鍛えるというのは無理な話。

免許取るべく自動車教習所へ習いに行ったのに「慣れれば出来るようになるから」っていきなり路上運転させられるようなものだろう。その上事故って心が傷ついても誰も保証してくれないんだから、始末が悪い。

 

なのでまずはシミュレーションから始めるべきだろう。

会話に対して抵抗の少ない両親や兄弟などの家族・親族と会話をしてみたりするのだが、その際にあえてシミュレーションであることを意識して会話する―――つまり、身内ネタ以外の話題で話をすることが重要である。

ぼっち脱却の為にコミュニケーション取る必要があるのは身内ではないのだ。

普通に考えれば家族や親族との会話の中でそれを意識している人はいないだろう。いつもとは違った難しさを感じるに違いない。

シミュレーションの有用性については、ぼっちにとっては今更だろう。

特に恋愛シミュレーションは万全のはずである。事実ときメモで90年(3年×30回)以上高校生やったこのプロぼっちに死角はない(実践経験もない)。

 

 

改善策⑤ いざ実践。まずは挨拶だけ。

改善策①~④をこなし、ある程度成果が出てきたかなと感じたら、いざ実践。

コミュニケーション能力とは雑談力とも言われたりもするので、可能ならクラスメイトや同僚など比較的身近な人と雑談に興じられるのが理想だが、ぼっちにとっていきなり会話のキャッチボールはハードルが高い。

 

なのでまずは挨拶から始めてみるのが良いだろう

それも「誰かに直接」ではなく「誰かの耳に届く状況」への挨拶

登校したり出社した時に「おはようございま~す」って。直接誰かに言うんじゃなくて、その空間内にいる全員に言ってみたくらいの感じで。

「誰かに直接」ではない理由は無視された時のこちらへのダメージが半端ないから。

人としての挨拶をしただけですよっていう免罪符の旗を掲げるのだ。回避力アップのバフ効果付きの旗を。

 

そしてそれをそれなりにこなし、その中で誰かがそれに対して返してくれたりするようになったりしたら、その時に改めてその人だけに挨拶をするようにすればいい。

そうやって段階を踏み、徐々にハードルを上げて積極的にコミュニケーションを取るようにしていけば、コミュ障を改善出来ることだろう。

 

 

失敗しても傷つかない優しい世界仕様。超初級編。

ソロ充ともいうべきプロぼっちはともかく、ぼっちが嫌だと感じているぼっちの人のほとんどがコミュ障であり、コミュ障改善はぼっち脱却には避けて通れない道だろう。

ここで紹介したコミュ障改善策は超初級編であり、例え上手くできなくても自分が傷つかないものなので、ハードルは低い

まさに優しい世界仕様。ナナリー大喜び。出来るならCの世界に行きたい。

また「コミュニケーション能力が低いままでは終われない、もっとコミュニケーション能力を高めたい」って人は、「自分の意思を円滑に伝えられることが出来る力」だけではなくもう1つの、「相手の意思を円滑に受け取ることが出来る力」―――相手のことを察する力の方が必要になってくることだろう。

こちらの力については機会があれば別途記事にしたいと思う。

 

 

以上。

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