ぼっち飯の代名詞「便所飯」は、デメリットやリスクの方が圧倒的に多くね?って話。

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仕事中。取引先で昼の12時を迎え、その取引先の担当者に誘われて一緒に昼飯に行くことに。

面倒くさい。昼飯は1人で食べたいのに。なんで油ギッシュの顔面した人面豚と食事しないといかんのか。

しかも豚カツが食べたいとか。共食いだろ最早。その上、共食いを見られたい性癖とか。どんな特殊性癖だって話。そんなのに自分を巻き込むなって……とは思ってはいても断れるはずはなく、豚カツ屋へと向かうべく外に出ようとした。

その時。うだつが上がらなさそうなサラリーマンが、弁当を持ってトイレに入っていった。

それを見た瞬間、プロぼっちな俺はビビッときた。

「あれは便所飯だ」と。

 

 

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「便所飯(べんじょめし)」とは?

トイレの個室内で食事を取る「ぼっち飯」のことである。

ネットスラングの1つで「ランチメイト症候群」とも呼ばれていたりする。

洋式トイレを使用するのが一般的だが、和式トイレの中で立ち食いの便所飯というのも存在するらしい。

やったことのある人は当然知っているだろうし、やったことのない人にも想像できるだろうけど、決して楽しいこと・面白いことではない。

 

では、なぜ便所飯をする人がいるのか。

その理由は当然「1人で食事する姿を見られて寂しいヤツって思われたくないから」である。

「食事は大人数でする方が楽しい、それが普通で当然である」みたいな、プロぼっちな俺からしてみれば悪しき風潮とさえ感じる世間の認識が便所飯を生み出したと言っても過言ではない。

 

だが果たして、便所飯はやる価値があるのだろうか。

 

 

便所飯なんてするもんじゃない

便所飯は人目を回避できるというメリット以上に、デメリットやリスクの方が大きくないだろうか。

第一に、弁当を持ってトイレに入る所、あるいは出ていく所を見られた時―――つまりトイレで食事していることが誰かにバレた時。

「アイツ、トイレで飯食ってたぜw」って思われて向けられる視線の方が「寂しいヤツ」って憐れまれるより遥かに破壊力があるし、周りの笑いのネタにもされやすい。

 

次に、トイレは排泄する場所であり、そんな場所で食事をしても美味しいわけがない。

嗅覚の優れている人なら、きっと食べている間に周りの匂いにやられて逆に気持ちが悪くなるのではないだろうか。

テレビのドキュメンタリー番組なんかで流れていたりする外科手術中の映像を見ながら食事が出来るようなタイプの精神力がないとキツイ。

流石にないだろうけど弁当がカレーとかだったら誰だって流石に無理だろって話である。

 

そして何より、自分の状況を客観的にとらえてしまった時がキツイ。

その自分の姿に「自分はこんなところで何をやっているんだろう」とか「こんなはずじゃなかった」とか、そういう風に「惨めさ」を感じてしまう可能性が極めて高い。

メンタルが強ければそんなことはないんだろうが、便所飯するようなぼっちはメンタルが弱いことが多い。メンタルが強ければ便所飯なんてしなくても当たって砕けろの精神で積極的に輪に入っていけるはずだからだ。

そういったメンタルがないからこそ便所飯をしているわけで、そしてそういう精神的ダメージを受けるとより性格が暗くなって、より否定的になって、よりコミュニケーションを取ることが苦手になっていってしまい、より便所飯をしてしまう機会が増えるといった悪循環を生み出してしまう。

便所飯にはそういう負のスパイラルを生み出しかねない危険性を秘めているのだ。

かくいう俺も便所飯の経験があり、いざ我が身を振り返ってしまった時には、その惨めさに飯を食う箸が動きが止まってしまったものだ。

 

それに公共の場所であるトイレの個室を、長時間占有することは周りの迷惑になりかねない。

誰にだって経験があると思う。「大」の波が肛門に押し寄せてトイレに駆け込み、「間に合った!」と思ったら全て使用済み。

ジャンプしたり足やおしりを動かしながら耐え続けてるが……誰も出てこない!? ヤバい! このままでは!!!! なんて人生最大のピンチを感じたことが。

そんな誰かの人生のピンチを生み出してしまったのが自分の便所飯だったら……って考えると、俺がお前の命運を握っているのだ! 苦しめ愚民共が!!ってちょっと愉悦を得られるかもしれないが、因果応報って言葉があるように、自分にだってそのピンチが訪れるものだ。

そう考えたら、やはり他人に優しくするべきだろう。

これがきっとナナリーが言ってた「優しい世界」だな。他人の肛門に優しくなれる世界。良いこと言うなぁブリタニアの皇女様は。

 

そういった様々な観点から見ても、やはり便所飯はするべきではないだろう。

 

 

便所飯するくらいなら「食べない」という選択肢

じゃあ、どこで食事をするか。

簡単だ。食べなきゃいい。

食事の時間になったら、フラッと散歩に出かけばいいだけだ。自分も基本的にはこうしてきた。

そうすれば1人で食事して周りに「寂しいヤツ」なんて思われることはないし、トイレで美味しい弁当をわざと不味くして食べる必要もない。トイレで食事をしていたなんてことがバレて笑いものにされるリスクなんて当然生まれない。

 

何より「食べない」という選択肢は自分自身への言い訳が立ちやすい。

上記でも書いたが、便所飯だろうとそうではなかろうと「1人で食事する」っていうのは、自分を客観的に見てしまうとその「惨めさ」が精神ダメージとなって襲ってくる。

その時に自分を守る為にそれを否定する言い訳が自分の中に必要なのだが、便所飯はその言い訳が立ちにくい。

正直どんな理由があれば便所飯をしている自分を正当化するような言い訳になるのか。見てみぬふりをするか考えない様にする以外に見当もつかない。

 

だったら「食べない」という選択肢の方が、自分自身への言い訳が立ちやすく正当化しやすい。

 

例えば「食べない」のは―――

  • お腹が空いていないから
  • 金欠だから
  • ダイエット中だから 等

―――が考えられ、そういう風に自分に対して言い訳が出来る。

 

つまり、「食べないのはそういう状況だからで、別に一緒に食べる人がいないから食べないわけじゃない」と思える。そして便所飯も回避できる。という寸法だ。

この言い訳は周囲に対しても使えるのも利点。まぁそんなデリカシーのない脳みそパーリーピーポーなヤツはそうそういないだろうけど。

 

なので便所飯をするくらいなら「食べない」選択肢を選んで、食事時間は散歩にでも出かけるべきだというのがプロぼっちの見解である。

 

 

【結論】ドツボにハマる前に便所飯からの撤退を

トイレの個室は自分だけの空間になりやすいので、便所飯にそういった安心感を求めている人もいるだろうけど、やはり止めておくべきだろう。

負のスパイラルに飲み込まれ、コミュニケーション能力が低下するだけでなく、その変な居心地の良さにそこから抜け出せなくなるリスクを秘めているのだから。

ドツボにハマるとそこから出られなくなる。ある意味中毒性を持っているのが便所飯の正体なのかもしれない。

 

取引先から自社へ戻る際、先程見た便所飯サラリーマンの顔が目に入った。

その顔は、もう既に手遅れそうだったことだけお伝えしておこう。

 

 

以上。

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